2014年8月31日日曜日

第4回 田中祭

2014.11.8
栃木県鹿沼市油田町
南摩コミュニティセンター近く、俺たちの米圃場内

一日中やってます。雨天ほぼ中止、軒下でこっそりやってるとは思います。
新米を釜で炊きます。一緒にどうですか。
自分で使う食器、一番好きなおかずを持ってお越しください。
なにも持ってこなかった方は300円頂戴します。そういう人には持ってきたおかずを分けてあげてください。
ごはんを食べます。今はそれしか考えていません。

We will hold TANAKA MATURI at Aburadenmachi,Kanuma,Tochigi on November.8.2014 all day in Japan.It is almost all canceled due to rain.But we do on a small scale.
We will cook rice by the way of old style.
Please bring utensils for yourself and the best dish for eating rice.
If you don't,pay 300yen.Please share your dish.Eat rice!That's all.

「農」というのは、自然界にあるエネルギーを、人が吸収できるような形に固定するのを促進する行為です。人がエネルギーを使って、自然エネルギーを固定するのを助ける訳です。ですから、育てたものは誰かによって吸収されなければならないんです。育てたものを捨てて、肥料にしたとしても、人が動いた分のエネルギーは無駄になるんです。
固定されたものは移動させることができます。それが吸収されたとき、おいしいとか、美しいとか単純なエネルギー以外のものを感じたとしたら、固定するのに使ったエネルギー以上のものを届けることができるのではないでしょうか。その人は、付加分も加えたエネルギーを使って、何かを生み出し、それがだれかに届いて、感動して、届いて、感動して、……。
こうしていくと、世界のどこへでも影響を与えることができるとおもうのです。実際、そうして今の世界は成り立っています。
どこか遠く、ここではないどこかへ。なんてことを思うことがあります。
いま、人はどこへでも行くことができます。だからこそ、場所によってなにかが制限されるということが少なくなってきました。どこにいてもできるのです。そもそも、遠くからみたら、ここは“遠く”なんですよね。ここも宇宙の果てなんです。では、人はどこに身を置くべきでしょうか。
私は世界の“エネルギー”の合計が最大になるのが一番いい形だと思っています。それがこの世界の限界でもあるんですけど。
先ほどの「農」の話。要するに、モノが生み出せるエネルギーは、その質によって変化し、だれかに届くたびに増加を続け、その影響はどこまででも届く。担い手がその「質」を高めていくことで、エネルギーは増やすことが可能なように思えます。「モノ」は動いて、届くことで価値を増大する可能性を秘めています。人には、そこにいるだけで価値を生み出せる場所があります。家族、恋人、友人が近くにいる場所。そこにいるということが、安心とか、楽しさとか、我慢とか、決断とか、ありとあらゆるものを与え続けるのです。これはモノでは起きないことです。身体が、声が、とっさの判断が、その存在がより必要とされている場所にいるのがいいと思います。それだけでその人は価値を生み出しているのですから。その場所で役目を終えてからでも場所を変えるのはいいのではないでしょうか。今いるべき場所でもやりたいことをやる方法はあるはずなのですから。焦る必要はないでしょう。そうやって信頼できる自分をつくるんでしょう。
そういう祭です。

ヒロタ


I think “creative” comes from sensitivity for life.
By the way,what is “humanity”? What do you think?
I think there are so much answers,but the most important  “humanity” is “almighty”.
Humans are the featureless animal.Cheetahes run faster than humans.Giraffes taller than humans.Elephants are bigger.Gorillas are stronger.Cockroaches are more quickly.
Humans have no features the most excelent in animals,but almost every can do and have.
Maybe,ancient humans do everything on every situation with thinking point of winning.
I think this thinking is the true nature of “creative”.
Humans keep on thinking and trying until now.Human's brains have been heavier.
Thus we should do more kinds of works,and must be sensitive to life.
Like this festival.

The responsibility for this article lies with Kenji Hirota.

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